「鏡の法則」批判について考えてみる

ちょっと乗り遅れてるけど「鏡の法則」について。
知らない人はググる豪一郎がゆく: 鏡の法則(ハンカチを用意して読め!)あたりでも読んでおくれ。
ブログ世間でこれだけ叩かれているのは何故かちょっと考えてみたんだけど、「親に感謝する」「親を許す」ということに抵抗を感じる人が多いから、というのが背景にあるんじゃないだろうか?
「感謝する」にしても「許す」にしても、主体になるのは基本的に強者の方だ。でも現代の子たちは将来的に親の経済レベルを超えることが困難だと感じている(私もそうだ)。親の時代は右肩上がりだったが、自分たちの時代は右肩下がりだ。親たちは年金がもらえるが、自分たちはもらえないだろう。それなのに「感謝する」ことや「許す」ことなどできるはずがない。だから素直に親に感謝し許せる奴らは「勝ち組」だ、叩くべし。
とまぁ飛躍しすぎかもしれないがこういう解釈も成り立つんじゃないかと思った。
もちろん「鏡の法則」を叩く奴=即負け組という訳じゃないけど。でも親が象徴する(親たちが作った)現代社会に対する反発ってのが団塊Jr以降の通奏低音になってるんじゃないかと自分の実感としてすごく思う。